川端龍子の芸術観に迫る
会期:2026年6月20日(土)~8月23日(日)
日本画家・川端龍子(1885-1966)は、1929年に自らの美術団体・青龍社を設立した際、「青龍社に采配を振る文句は―繊細巧緻なる現下一般の作品に対しての健剛なる藝術へ向っての進軍である(註1)」と旗幟を掲げ、30年以上にわたって青龍社の若き日本画家たちを指揮し続けました。「健剛な芸術」を実現するにあたり、龍子は圧倒的な大画面の作品を展開していきます。一方、金彩をはじめ鮮やかな色彩により、日本美術において育まれてきた装飾性豊かな絢爛たる作品も制作しています。龍子にとってきらびやかな装飾性も「健剛な芸術」に欠かせないものであったのでしょう。本展では、龍子の作品に見出すことのできる「絢爛」と「健剛」をテーマにその芸術観にせまります。
![]() 左:川端龍子《一天護持》1927年、大田区立龍子記念館蔵 右:川端龍子《孫悟空》1962年、大田区立龍子記念館蔵 |
「健剛」を象徴する作品として《一天護持》(1927年、大田区立龍子記念館蔵)は、高さ3.5メートルを超える大画面の作品であり、修験道の本尊である蔵王権現を題材に、紺地金泥の装飾経にヒントを得て、金彩のみで描かれました。龍子の作品が巨大化した理由には、近代的な展覧会場として東京府美術館が開館したことが挙げられます。また、龍子が晩年、77歳の頃に描いた《孫悟空》(1962年、大田区立龍子記念館蔵)では、孫悟空が仙術で自身の毛から子猿たちを生む場面が大胆に表現されています。当時の作品評では、孫悟空を龍子と見れば、子猿はその弟子ではないかと、孫悟空の姿に喜寿を超えてなおエネルギッシュな龍子を投影する者もありました。
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龍子に学んだ平松礼二の作品が龍子記念館に
今回は、名作展に加え併催として町立湯河原美術館収蔵 平松礼二作品展を開催します。日本画家・平松礼二(1941-)は、かつて川端龍子が主宰した青龍社に在籍していました。1960年の 19歳の時、第32回青龍展に《廃船》で入選した平松(当時は本名の邦夫)は、1962年には構成員である社子に推挙され、青龍社が解散する1966年まで龍子のもとで教えを受けています。1999年に発表した「印象派・ジャポニズムへの旅」が国内外で話題を集め、翌年から月刊「文藝春秋」の表紙画を 11年間担当、2013年にはフランス公立ジベルニー印象派美術館で「睡蓮の池・モネへのオマージュ」展、2024年には「平松礼二-睡蓮交響曲」展が開催されました。また、2025年 7 月就航の郵船クルーズ株式会社が運航するクルーズ船「飛鳥Ⅲ」には、船内を彩る作品を提供し、現在もなお、華々しく活躍しています。
この度、川端龍子展「龍子の衝撃」(会期:2月 6日(金)~4月 6日(月))が町立湯河原美術館で開催され、龍子記念館との所蔵作品の交換展として、平松礼二作品展を開催し、平松がライフワークとして取り組んだ「路」をテーマとした作品や、その名を響き渡らせた「モネの池」シリーズ、そして、装飾性豊かな屏風作品《東海富士図》(2006年、町立湯河原美術館蔵)、《早春図》(2008年、町立湯河原美術館蔵)等を展示しています。
![]() 平松礼二作品展 会場風景 |
本展は、6月7日(日)まで。龍子の絢爛で力強い作品と龍子のもとで学んだ平松礼二の装飾性豊かな作品の共演を、ぜひお楽しみください。
(註1)川端龍子『わが画生活』大日本雄辯会講談社、1951年
(註2)同上





