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【特集】海苔のふるさと大田区 今も受け継がれる海苔の歴史

※掲載している情報は公開日時点のものです。あらかじめご了承ください。

 

大田区では、昭和初期まで海苔生産全国一を誇った大田区大森の地元の味を広く知ってもらうため、令和元年度から、大森本場乾海苔問屋協同組合が教育委員会と連携して、2月6日の海苔の日(※)の前後、区内の小中学校で海苔養殖の歴史に関する授業を行ったり、地元の問屋さんが給食のために海苔を提供したりと「海苔」をテーマにした食育を実施しています。令和3年2月5日には、区立小学校53校、区立中学校18校で、海苔を使った給食がふるまわれました。

 

※海苔の日とは

日本最古の成文法典「大宝律令」には海苔が租税の一つとして記載され、当時から貴重な食品だったことが分かります。この大宝律令が施行された大宝2年1月1日を換算すると西暦702年2月6日になることから、現在の海苔の日が定められました。

 

大田区立志茂田小学校の給食。
大森本場乾海苔問屋協同組合から届いた焼き海苔が添えられています。

 


海苔の食育授業用に配布されているパンフレット。海苔を使ったレシピなど海苔に関する色んな情報を分かりやすく、楽しく紹介しています!
このパンフレットは「大森 海苔のふるさと館」でも入手できます!

 

また、大森ふるさとの浜辺公園にある【大森 海苔のふるさと館】では、板海苔作りの伝統的な工程「海苔つけ」の体験授業も受け入れており、主に区内の小学3年生が体験しています。

実際にかつて海苔を生産していた方が、優しく指導してくれます。
(写真は平成30年の一般向けの海苔つけ体験の様子。現在は新型コロナウイルス感染症対策のため、職員が指導しています。)

 

なぜ大田区で海苔がこれほど大切にされているのでしょう?海苔にまつわるスポットをご案内しつつ、ご紹介します。

日本の海苔養殖は大田区から始まった

大田区の海苔の歴史は、今から300年ほど前、江戸時代の享保年間(1716〜1736)にさかのぼります。その頃、大森から品川にかけての沿岸部で、日本で初めて本格的に海苔の養殖が始まりました。このあたりの海は、潮の干満があり、養分が含まれた川の水と海水が適度に混じって波も静か。海苔の生育には最適な環境だったのです。
 
延享3(1746)年から、幕府に「海苔の営業税」を納めるようになり、将軍家などへも献上される最上品の海苔の産地と成長していきました。そして、大森で発展した養殖技術と乾海苔(ほしのり)加工技術は全国へと伝播し、大森は、明治から昭和初期まで日本一の海苔生産地として最盛期を迎えました。
 

明治の頃の海苔づくりを描いたもの 明治10(1877)年 三代 歌川広重
しかし、港湾整備計画などの様々な理由から、昭和37年に漁業権放棄が決定し、昭和38年の収穫を最後に、長きにわたる海苔養殖の歴史の幕を閉じましたが、かつて産地として品質の良い海苔を量的に扱っていた伝統、技術、経験を活かし、現在の大森の海苔問屋で選別・加工される海苔が「大森海苔」と言えます。

海苔づくりの伝統を今に伝える
「大森 海苔のふるさと館」

さらに詳しく海苔の歴史を知るために、【大森 海苔のふるさと館】(以下、ふるさと館)を訪ねました。こちらは平成20年に開館した、収蔵品も展示内容も全てが海苔養殖や海苔加工に関する道具という海苔に特化した全国でも珍しい博物館です。881点もの収蔵品が国重要有形民俗文化財に指定されています。


大森 海苔のふるさと館外観。大森ふるさとの浜辺公園を訪れる方のビジターセンターとしての役割を担っています。


事務局長の小山文大さん(左)とスタッフの五十嵐麻子(右)さんに、見どころを案内していただきました。

1階の入口を入ると、3艘の木製の船がドンと展示してあり、なかなかの迫力です。
最も小さい舟は「ベカブネ」といいます。「ベカ」とは薄くてもろい状態を表すヘカヘカという言葉から来ているといわれています。このベカブネは海苔採り用の舟で、ベカブネより少し大きい「中ベカ」は竹ヒビなど資材を配ぶための舟、最も大きい「海苔船」は沖にある海苔場へベカブネや資材を運ぶための船です。


大田区に唯一残る海苔船。全長13mもあります。

五十嵐さん「この海苔船は、海苔養殖が終わった後釣り船に転用されていましたが、やがて使われなくなって高速道路の下に係留されていたそうです。それがいろいろな縁を経て、保存のため区に引き取られることになり、区に保管される時に修理されました。この船を作った船大工さんが元の海苔船の姿に修理してくださったんです」
 
現存する大森の海苔船としては最後の一艘が、こんなにきれいな状態で展示されているとは驚きです。保存にかける多くの人の思いと努力の賜物だなと思いました。

2階の展示室へ
2階には、ヒビ(海苔を育てるために海中に建てる木や竹)を建てるための振り棒と海苔下駄(高さなんと約30〜150センチメートル!)、海苔を刻む包丁や海苔を干すための簀(す)など、様々な道具が展示されています。もちろん、どれも実際に使われていたものです。


 

さまざまな海苔づくりの道具

海苔下駄の体験コーナー
(新型コロナウイルス感染症対策のため現在は体験できません)

ヒビ建て(海苔の養殖方法)の模型



ふるさと館の1階階段前には、ボランティア活動を紹介する掲示板が設置されています。ふるさと館では、地域ボランティアの協力のもと、伝統的な海苔つけ技術の体験学習、近くにある浜辺での海苔生育など、海苔の文化を次世代に継承しようという取り組みが続けられているのです。
五十嵐さんの「ここは『人から人へ伝える博物館』なんです」という言葉の意味がよくわかります。
 
なお、ふるさと館では各種リーフレットを配布しているほか、お土産として、おいしい焼き海苔や海苔生産者の作業着をイメージした前掛けなどを購入することもでき、こちらもオススメです。
 
貴重な資料の展示や体験学習を通して、ぜひ大森の歴史や先人の誇りに触れてみてください。
大森 海苔のふるさと館
住所
大田区平和の森公園2-2
電話番号
03-5471-0333
入館料
無料
開館時間
9:00~17:00(1月〜5月 9月〜12月)
9:00~19:00(6月〜8月)
休館日
第三月曜日(第三月曜日が祝日の場合は翌日休館)
年末年始(12月29日〜1月3日)
※臨時休館あり

「海苔養殖業発祥の地記念碑」

JR大森駅東口駅前広場には、海苔養殖業発祥の歴史と文化を後世に継承するために、大森本場乾海苔問屋協同組合より寄贈された「海苔養殖業発祥の地記念碑」が設置されています。大森における海苔の歴史が写真と文章で刻まれているので、ぜひご覧ください!
 
ちなみにこの碑の形は、収穫した海苔を天日乾燥するために使われていた「海苔の枠干し(わくぼし)」をモチーフに、ほぼ原寸大で再現したものです。かつては冬になると、こんな風に海苔を干す光景が大森の海岸付近では、そこかしこで見られたのです。






コラム
全国から上質な海苔が集まる、大森の海苔入札


今も大田区には海苔問屋や海苔販売店が数多くあり、大森本場乾海苔問屋協同組合による海苔入札が行われています。大森で生産していた頃の入札は、大森漁業協同組合に乾海苔が集められ、仲買人(現在の問屋)が入札に参加していました。現在の大森での入札は、地域単位の組合では、最大規模の会員数を誇る大森本場乾海苔問屋協同組合が行っています。現在では東京湾内の神奈川県漁連を中心とした品を扱っています。
一般には、地域ごとの漁連の検査員が品質を見立てて等級をつけてから問屋による入札が行われますが、大森では未等級のまま問屋自らの見立てで値段がつけられ、競り落とされます。こうしたやり方が根付いているため、大森の問屋は卓越した目利き、味利きの技を受け継いでいます。そのため、他地域からあえて大森に出荷し、自分の海苔がどの程度評価されるかと腕試しをする生産者もいるのです。


大森本場乾海苔問屋協同組合による海苔入札の様子。

目利き・味利き力を高めるため、「ティスティングコンテスト」を組合独自で開催しています。

今回の「海苔」特集はいかがでしたか?
「大田区と海苔の関係が分かった!」「大森 海苔のふるさと館に行ってみたい!」と興味を持った方もいるのではないでしょうか。
海苔について深く知る事で、普段何気なく食べている海苔もよく噛み締めて味わいたいものですね。
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