「描かれた対象」から龍子作品を紹介
会期:2025年12月6日(土)~2026年3月8日(日)
| 日本画家・川端龍子(1885-1966)は、もともと洋画家から出発し、挿絵画家の時代を経て、30代の頃に日本画へ転向しました。かつて龍子に師事した日本画家・福田豊四郎(1904-1970)が、龍子について「自由な着想を従来の日本画の技法や約束にとらわれず、師もなく全くの独創で自ら龍子派とも云いうる技法を打立てた(注1)」と回想しているように、龍子は独学で日本画を開拓し続け、その作品は、洋画的要素が含まれるもの、琳派風のもの、そして同時代的なテーマを取り入れたものなど、多様な広がりを見せています。また、龍子は自らの芸術観として「会場芸術」を提唱し、従来の個人宅の床の間に飾るような日本画を脱し、大衆に向けてこれまでにない圧倒的な大画面に描きました。 |
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本展では、当館所蔵の龍子の作品を、絵に描かれた対象を軸として、二つのテーマからセレクトしました。一つに「古典的モティーフ」として古くから脈々と描かれてきたモティーフから、そして、二つに「現実にあるモデル」として実在する風景やものから、作品をご紹介します。
洋画から日本画へ転向、古典のモティーフに挑む
龍子は1913年の渡米を機に、日本画家へ転向します。そのきっかけとなったのは、ボストン美術館の東洋美術のコレクションを見たことにあり、特に『平時物語絵巻』(鎌倉時代)に大きな影響を受けました。
| 本展出品の《阿吽》は、日本画に転向して初期の作品であり、無地の金屏風に表情豊かな獅子が向き合うように描かれています。古来、日本で表された獅子は、ライオンをもとに中国で形作られた「唐獅子」であり、体を覆う巻き毛が特徴で、その毛に霊力があるとされます。龍子の作品は、色鮮やかな朱と群青が用いられ、2頭の毛は巻き毛というよりも逆立つたてがみのように描かれています。本作は、日本美術院第4回試作展覧会に出品され、日本画家としてのスタートを切った龍子の若さと勢い漲る作品です。 |
![]() 川端龍子《阿吽》1918年、大田区立龍子記念館蔵 |
| 龍子は、日本美術院を舞台に意欲作を次々に発表しましたが、1928年に日本美術院を脱退すると、自ら青龍社を創設しました。1958年に描かれた《やすらい》は、青龍社創立30周年記念展に出品され、孔雀明王を描いた作品です。「孔雀明王図」は、平安時代からいくつか作例が現存し、その図像は、孔雀の背に明王が騎乗する姿で捉えた描写が主流ですが、龍子の作品はどうでしょうか。明王は地面に腰をおろして右手で頬を支えるポーズをとり、その周りを孔雀が囲んでいます。龍子が着想源としたのは、高野山の快慶《孔雀明王》(鎌倉時代、重要文化財)の彫刻であり、長らく騎乗した姿の孔雀明王に「たまには手足を伸ばして御自由に…(注2)」という発想から、明王と孔雀が休息する様子として描くことで、これまでの仏画にはない、龍子独自の創造が表されています。 |
![]() 左:川端龍子《やすらい》1958年、大田区立龍子記念館蔵 |
名勝や古典の名画をもとに
龍子は、現代の私たちも訪れたことがあるような場所を描いています。《龍安泉石》(1924年、大田区立龍子記念館蔵)は、枯山水で名高い京都・龍安寺石庭を四曲一双の屏風に描いた作品です。本作の特に興味深い点は、構図にあります。龍子の庭は、塀の屋根よりも高い位置から眺めた俯瞰構図をとっていますが、実際にこの視点から眺めることはできません。また、石の角度は石庭を左側から眺めた視点に類似します。この作品は、堀の外側の借景を描くことなく、屏風の中に庭とそれを囲む塀だけを収めるという大胆な構図で、石庭の眺めを再構築しています。 |
![]() 展示室風景。屏風は《龍安泉石》。 |
| 名勝のほか、古典の名画を画中に引用した作品があります。それが、京都・南禅寺の狩野探幽《群虎図》(江戸時代、重要文化財)の襖絵を場面の舞台とした《虎の間》(1947年、大田区立龍子記念館蔵)です。画面中央に、探幽の「水呑の虎図」を配し、その襖を眺める龍子自身の自画像が描かれています。本来、探幽の虎は、水を飲むように水面の方へ視線を向けていますが、龍子の虎は、目を光らせ画中の龍子を警戒するように視線を向けています。龍子は探幽の虎を描き変え、その構図は、虎と対峙する自らを「龍」とし、伝統的な「龍虎図」の構成を取り入れています。 |
![]() 川端龍子《虎の間》1947年、大田区立龍子記念館蔵 |
この他にも、日光東照宮の名作を描いた《眠猫》(1933年、大田区立龍子記念館蔵)や《三申図》(1955年、大田区立龍子記念館蔵)、更に龍子が愛蔵した仏像を描いた連作「吾が持仏堂」より3点の作品を出品します。
横山大観の作品をオマージュした《逆説・生々流転》
![]() 川端龍子《逆説・生々流転》1959年、大田区立龍子記念館蔵 |
| 本展では、全長28mに及ぶ《逆説・生々流転》(1959年、大田区立龍子記念館蔵)を出品します。本作のタイトルに用いられた「生々流転」は、横山大観の大作《生々流転》(1923年、東京国立近代美術館蔵)を引用しています。大観が水の一生を描き、自然が与える恵みを表現したのに対し、龍子はその「逆説」として水がもたらす自然災害の脅威に焦点を当てました。 龍子が構想の源としたのは、1958年9月に伊豆半島を襲った狩野川台風による甚大な被害です。龍子は、伊豆・修善寺に別荘を所有していたことから、その状況を確認するため台風から4日後には現場へ赴き、この大災害を取材しました。展示室では、本作の下図も一部展示します。 |
![]() 《逆説・生々流転》の下図(一部) |
本展は、3月8日(日)まで。龍子が対象に向けたまなざしを、ぜひお楽しみください。
(注1)福田豊四郎「近代日本画の記念碑として」『三彩』〈増刊〉No. 202、1966年6月、p.20
(注2)『創立30周年記念青龍社出品目録』1958年








