郷土博物館は「何をやろうか」と自由研究のテーマ決めに悩む親子の強い味方です。
郷土博物館を知らないお友達のために少し博物館を紹介します。郷土博物館は大田区の歴史や昔のくらし・生活について学習する場所です。博物館ではモノ(資料といいます)を見てもらって大田区のことを知ってもらいます。モノを見て学習するという点が学校の学習とは異なるところです。
そんな博物館の展示(モノをならべて見せること)には自由研究のネタがたくさんあります。今回は自由研究のネタになりそうな、展示の見どころを紹介しますので、是非博物館に遊びに来てください。きっと新たな“発見”があるはずです。
2階「地中に刻まれた歴史」
大昔の人々が残した暮らしの跡(遺跡といいます)が大田区内には約240あります。
なかでも大森貝塚は教科書にも取り上げられるなど有名な遺跡です。大森貝塚は明治10(1877)年にアメリカ人の動物学者E.S.モースが発見、発掘したもので、この発見が日本の考古学の始まりといわれています。
展示では、発掘調査で見つかった旧石器時代から中世までの道具(土器、石器、金属器)のほか、縄文時代の貝層やイヌの墓のはぎ取りなどを見ることができます。各時代の住まいやお墓、道具などの特徴をそれぞれくらべてみましょう。
2階「農漁村の風景」
今とは違う農漁村の暮らしが大田区にもありました。彼らは海と川に囲まれた台地と低地のなかでその土地に合った暮らしをしていたのです。田で米を、畑で穀物や野菜を育て、川辺・海辺で魚や貝をとり、海苔養殖を行っていた時代。六郷用水が区内を流れ、麦わら細工の土産品が作られていました。そんな時代の大田区をのぞいでみませんか?
田んぼでお米を作るには水が必要です。そこで、江戸時代に小泉次大夫が農民に用水を引く工事を行わせました。この人工の川を六郷用水といいます。六郷用水は大田区内のどこを流れていたのでしょう? 皆さんの小学校の近くにも用水路はあったかな? 展示室の床に貼られた大きな地図を観察してみましょう。床地図を持ち運びしやすいようにした散策マップも販売中です。水路跡をめぐる際のお供にご利用ください。
3階「馬込文士村」
大正時代末から昭和時代の初めころ、馬込・山王・中央などに作家や画家が多く住み、いつしか「馬込文士村」とよばれるようになりました。展示では色々な作家や画家たちの作品や資料などを紹介しています。
馬込を舞台にした小説を書いた作家、馬込にある小学校の校歌を作詞した作家、大田区の風景を描いた画家なども馬込文士村に住んでいました。右下の版画「馬込の月」などの作品で海外でも人気の版画絵師・川瀬巴水も馬込に住んだ時期があります。
作家や画家の人生や大田区との関係を調べてみましょう。
3階「近代化とまち」
大田区では大正時代の半ばころから人口が大きく増え、田畑は宅地(人々の住む場所)に変わります。私たちが目にするまちの形が作られました。展示では村からまちへと変化する様子や仕組みを紹介しています。
大田区内を歩きながら、まわりを見渡してみると、小さな工場がたくさんあることに気付くでしょう。大田区は小さな工場(従業員の数が9人以下の工場)を中心とした「ものづくりのまち」です。皆さんは大田区工業の特長と得意技を知っていますか? また、どんな種類の工場が大田区には多いのでしょう? 自由研究で取り上げてみませんか?
蒲田には大正時代から昭和時代の初めころまで映画作りを行う撮影所がありました。その名を松竹キネマ蒲田撮影所といいます。展示では撮影所の歴史と撮影技術を紹介しています。「東洋のハリウッド」を目指した撮影所にはどんな技術があったのでしょう? 展示資料を見て、答えを探してみましょう。
自由研究のヒントは大田区立郷土博物館のホームページでも公開しています。
是非チェックしてみてください。
★大田区立郷土博物館★
【ご利用案内】
入館料…無料
※秋の特別展についてはお問い合わせください。
開館時間…午前9時から午後5時まで
休館日…祝日を除く毎週月曜日、年末年始、展示替えの期間など
ホームページ…
https://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/manabu/hakubutsukan/
【交通案内】
☆JR京浜東北線「大森駅」
北口改札山王方面の東急バス4番乗り場で「荏原町駅入口」行に乗り「万福寺前」下車徒歩2分
※車椅子をご利用の方は「大森駅」中央改札口をご利用ください。
☆都営地下鉄浅草線「西馬込駅」東口から徒歩7分
【お問い合わせ】
〒143-0025
大田区南馬込五丁目11番13号 大田区立郷土博物館
TEL:03-3777-1070 FAX:03-3777-1283