記録写真や美術作品で大田区の秋を満喫!! 〜競馬場編〜

 日本は古来より四季の移ろいを五感で明確に感じることのできる世界でも稀有の国として存続してきました。季節は秋から冬へと移り変わりつつありますが、今回は、過ぎ去ってしまった秋を振り返るものとして、おおたの秋の風物詩や行事などを大田区所有の記録写真や美術作品によって、大田区立郷土博物館が紹介します。おおたの秋を見て、知って、「なるほど」を体感してください。そして様々な「秋」を満喫しましょう!

 

【大田区に競馬場が!!】

 実は区内に競馬場があったのはご存じでしょうか?明治391906)年11月に池上競馬場が開設されています。明治39112425日、1212日の4日間に及んだ第1回秋季競馬会には皇族が来場するなど、この時期の競馬観覧はハイカルチャーとしての色彩が強いものでした。

 日露戦争後、日本の競馬は諸外国産馬に比べて劣る国産馬の改良とその資金源確保を目的とした馬券の販売黙認を背景として、競技を実施するための競馬場の選定と、そのための競馬会の組織が進みます。加納久宜らを中心として設立された東京競馬会では、集客と広い敷地の必要性に加え、所有地の貸与など本門寺の競馬場設置に対する積極的な姿勢もあって、東京郊外の池上村内に競馬場が開場しました。現在の池上六~八丁目辺りに開設された競馬場の総面積は45千坪。水田の中に11800mの馬場が作られ、春秋の二期に競馬会が開催されました。

 

左:池上競馬場遠景             右:馬見場玉座 ずれも『競馬大鑑』(斯文堂書房、1907年)より

 

  左の写真の右端に写る建物は東京美術学校教授・古宇田實による耐震・耐風建築の馬見場です。建物内には天皇の臨席を想定した「玉座」や「御便殿」が設置されるなど、当時としては日本でも有数の規模と格式を持つ競馬場であったといえます。

 

 しかし、馬券販売の容認時期は長くは続かず、早くも明治41年には禁止されてしまいます。競馬場の入場者は激減、その収入が見込めなくなると、東京競馬会も他の団体と合併して東京競馬倶楽部を結成、池上競馬場は目黒競馬場へと統合され、わずか数年で閉鎖されました。

 現在、池上六丁目にある「徳持ポニー公園」は、この地に池上競馬場があったことから命名されました。

 

記録写真や美術作品で様々な秋を満喫!! 〜 競馬場編〜 はいかがでしたでしょうか。

大田区の文化・芸術に関心を持った方は、大田区立郷土博物館に是非お越しください!

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