日本は古来より四季の移ろいを五感で明確に感じることのできる世界でも稀有の国として存続してきました。季節は秋から冬へと移り変わりつつありますが、今回は、過ぎ去ってしまった秋を振り返るものとして、おおたの秋の風物詩や行事などを大田区所有の記録写真や美術作品によって、大田区立郷土博物館が紹介します。おおたの秋を見て、知って、「なるほど」を体感してください。そして様々な「秋」を満喫しましょう!
【スポーツの秋、行楽の秋】
秋といえば「スポーツの秋」。なかでも運動会を秋の学校行事として記憶されている方も多いのではないでしょうか。
運動会は、明治7(1874)年にイギリス人教師の指導によって海軍兵学寮で競闘遊戯(きそいあそび)が行われたのを起源としています。軍隊における基礎訓練の一つとして取り入れられたもので、優秀な兵士を育成することが目的でした。その後、小学校にも導入され、連帯感や協調性などを養うものへと変わっていきます。
入新井第二尋常小学校運動会
記念絵葉書 体操
昭和2(1927)年10月
御大典奉祝 蒲田町立小学校連合大運動会絵葉書 綱引
昭和3(1928)年11月4日
蒲田町立小学校連合大運動会とは、蒲田尋常高等小学校、相生尋常小学校、南浦小学校の3校で開催された運動会です。運動会の開催場所は、当時の教員への聞き書きにより、現在の蒲田一丁目15番付近であったと推測されます。
明治末期頃からは健康増進などを目的として各小学校で運動会が開催されました。近隣の小学校が連合で運動会を行うこともありました。大正から昭和初期にかけては、児童数も増え、競走種目を中心とした競技会としての性格が強まる傾向にあります。地域の体育振興の意図もあり、昭和に入ってからはさらに児童数が増加し学校単体での開催が可能となり連合運動会の開催は減少しました。
近年では、5月頃に運動会を開催することも多くなりましたが、10月は晴天に恵まれることが多く、農家の人々も参加できるようにと収穫が終わった時期に合わせて開催されてきました。国民の祝日のひとつ「スポーツの日」は、昭和39(1964)年10月10日に行われた東京1964オリンピック競技大会の開会式を記念して制定された祝日です。
蒲田小学校運動会 蒲田小学校運動会
昭和44年10月、石原裕之氏撮影 昭和44年10月、石原裕之氏撮影
さらに「行楽の秋」。東急「多摩川」駅近くにかつてあった遊園地の多摩川園では、秋の行楽シーズンには菊人形大会が目玉の催事となっていました。菊人形は菊細工の一種で、頭や手足は人形、胴体部分は菊で作られた等身大の人形です。その起源は江戸の後期に求められますが、多摩川園での菊人形展は読売新聞社の主催で昭和10年から同51年まで開催されました。
色とりどりに咲き誇る菊を鑑賞するため、多くの人々が訪れ、大変な人気を集めました。松竹キネマ蒲田撮影所の俳優が鑑賞に訪れたことも知られています。木版画の絵師である川瀬巴水も見合いの仲介人として多摩川園を訪れ、菊人形の太閤記を見たと日記に記しました。大田区域内に居住していた巴水にとっても多摩川園は身近な遊園地であり、子どもも大人も楽しめる場所であったことがわかります。
多摩川園・菊花大会御案内チラシ 菊花大会を観覧する松竹キネマ蒲田撮影所の俳優たち
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