大田区は、東京23区最大の4229所※の製造業事業所数を誇り、「ものづくりのまち」として広く知られています。
今回はそんな「ものづくりのまち大田区」の成り立ちや特徴などを特集します。
まずは大田区のものづくりの振興・発展を支える一般社団法人大田工業連合会の西川恭子事務局長に、お話を伺いました。
※平成28年度経済センサス(総務省・経済産業省調査より)
西川恭子事務局長。大田区の産業を発信する大田区産業プラザPiO前にて
ー大田区で「ものづくり」が盛んな理由を教えてください。
「よく言われる大きなきっかけは、大正12年(1923年)の関東大震災です。
東京の中心部で操業していた工場が、震災をきっかけに大田区の海岸沿いに移転し、戦時中には軍需工場として一帯が栄えるようになりました。
昭和30~40年代になると湾岸整備の関係で海苔の養殖場が減り、使われなくなった『海苔干し場』などに工場用地が広がっていきます。
この頃、地方から集団就職で多くの方が大田区の町工場で働き始めます。やがて、のれん分けのような形で独り立ちする『ひとり親方』が増え、区内に町工場がさらに増加していきました。」
ー大田区ならではの特徴や魅力はどのような点ですか?
「各社の敷地はコンパクトで、事業所の半分は3人以下の工場です。自社ですべてを行うというスタイルは難しく、『これだけはどこにも負けない』という一点突破の高度な技術を持つ工場が多いです。
中心となるのは『基盤技術』と呼ばれるものづくりの基礎となる技術。切削・プレス・成形・研磨・鋳造・メッキなど、金属加工の分野が多いですね。
部品加工をたすきリレーのように隣接した工場間で繋いでいくと、最高の技術が結集し、素晴らしい製品が完成します。このように仲間内で作業を取りまわしていく『仲間まわし』は古くからの大田区のものづくりの特長です。各工場が自転車で回れるほどの距離にあることから、『自転車ネットワーク』と呼ばれることもあります。
高精度で複合的な加工も、互いの協力関係であっという間に仕上げてしまう、短納期対応も評価されています。日本全体で量産工場がアジアにシフトする中、近年の大田区町工場は新製品開発の試作部品など付加価値の高い仕事をしています。
さらに進んでこれからの注目ポイントは『共創(きょうそう)』になりますね。」
ーその「共創」について、詳しくお聞かせください。
「わかりやすく言えば『工場発信』です。大手企業からの仕事を待って、みんなでそれを仕上げていくという下請けの体制ではなく、工場側からどんどん仕事を仕掛けていこうというものです。
もともと、素晴らしい製品を生み出す技術力を持っている上に、求められる以上の成果を出すという職人気質もあります。そこに今まで培ってきたネットワークを活かすことで、仲間たちと『自分たちが作りたいものを作る』という、本来のものづくりの形にシフトしつつあるということですね。」
ー「共創」が「仲間まわし」と違う点は?
「下請けの仕事を仲間内でまわしていても、万が一、発注額を下げられるようなことが続いたら、せっかくの技術力が正しく評価されず、消費されるだけで終わってしまいます。これでは技術の衰退にもつながりかねません。
今までのように仕事が流れてくるのを待っているのではなく、ものづくりのスタート地点である『企画』『提案』『開発』『設計』から、大田区のものづくりの連携を発揮していこうという考え方が『共創』です。
以前からある工場同士はもちろん、産学連携やベンチャー企業との共創・協業を行う『研究開発型』『提案型』の共創が活発化しています。」
ー「共創」を推進していくために行われている取組みはありますか?
「大田区では創業支援施設『六郷BASE』や工場アパート『テクノFRONT森ケ崎』などを整備し、『共創』がより推進される場づくりを行っています。
町工場は人材育成などに手が回らず、慢性的な人手不足も大きな課題です。
私ども大田工業連合会ではこれをサポートすべく次世代育成のために、ものづくりセミナーなどを開催して、提案型に欠かせないスキルを身につけられるサポートを行っています。新入社員セミナーも区と大田工業連合会で協力して実施しています。『大田区の町工場の同期』としてつながって、若い世代からも『共創』が生まれて欲しいと願っています。
大田区のものづくりに携わっているのは『地域全体で産業を発展させていこう』という想いの強い方ばかり。既存企業はもちろん、今後は海外も含めたベンチャー企業も広く受け入れて『共創』が更なる発展を遂げられるよう、引き続きバックアップしていく所存です。」
大田区のものづくりの成り立ちや特徴について、よくわかりました。
さて、続いては、お話に出てきた大田区内での「共創」の事例を2つご紹介していきたいと思います。