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梅は昭和51(1976)年に「区の花」として制定されました。古くから大田区の土地になじみ、歴史的な由緒も深い梅。花は気品に満ち、早春の寒さに負けず咲くその姿は、 若い世代の人が多い大田区には特にふさわしいものとして選ばれました。
区内には多くのおすすめ梅スポットがあります。こちらの記事では、大田区立池上梅園を紹介します。
池上梅園は昭和53(1978)年8月に大田区の管理する区内初の有料公園(庭園)として開園しました。丘陵斜面等を利用して30余種の梅の木が植えられ、初春には芳香を放ちながら咲き誇ります。また、ツツジをはじめとする50種の四季折々の樹木や冬には雪吊の情景がこの地を訪れる多くの人々を楽しませています。この他、茶室や和室などの施設、水琴窟も園内にはあります。
公園概要
所在地 大田区池上二丁目2番13号
アクセス 都営浅草線西馬込駅徒歩10分、東急池上線池上駅徒歩20分
主な樹木 ウメ、ツツジ
期間限定ライトアップ
梅が見頃の期間、池上梅園内の夜間ライトアップを実施します。ライトアップされた幻想的な梅の花をお楽しみください。
点灯期間中は開園時間を、午後8時まで延長します。(入園は午後7時30分まで)
昼間来園し、ライトアップ時間に再度来園される場合、受付で入場券を提示していただくと入園料を無料にします。(再入場できるのは当日限りです。)
池上梅園バーチャルツアー
梅の見頃の時期の池上梅園を360度方向から自由に観覧することができます。
https://unique-ota.city.ota.tokyo.jp/charm/nature/ikegami-baien/
梅の写真
池上梅園開園への道
この地に初めて梅林を見出したのは父の川尻新吉とともに建築家として活躍した川尻善治でした。新吉が仕事の関係で購入した池上本門寺前の土地に善治は大正8(1919)年に転居します。
これを契機として、本門寺に隣接する本行寺の西方に作庭に相応しい梅林の存在を知った善治は日本画家で木版画の絵師の伊東深水にこれを紹介しました。両者は深水の師である日本画の巨匠・鏑木清方を通じて知り合ったといいますが、詳しいことはわかりません。
川尻善治(大田区立郷土博物館蔵)
川尻善治製作「伊東深水画室新築設計図」(大田区立郷土博物館蔵)
画室はすべて檜造りで、50 畳敷きの広い間取りの部屋は三方がガラス戸になっており、大きな池のある庭園に囲まれていました。庭園にしつらえた庭木は写生のために育てられたもので、深水がしばしば商売用に描いた梅や紅葉はこの庭に植えられたものともいわれています。そして、昭和6 年7 月頃には邸宅も増築して品川の南浜川から居を移しました。
池上の伊東深水画室(大田区立郷土博物館蔵)
池上の深水邸での記念写真(大田区立郷土博物館蔵) 昭和11(1936)年3月27日 写真の前列左から鏑木照(清方夫人)・伊東好子(深水夫人)、中列左から川瀬巴水・渡辺泰次・山川秀峰、後列左から鏑木清方・伊東深水・小早川清。写生のために植えられたという様々な種類の植物が庭木として看取できます。
深水はこの画室兼自宅で作品制作に没頭しますが、建物は戦災により焼失しました。その後、この地は中央区築地六丁目で養殖鰻の問屋を営んだ小倉誠の所有となります。
小倉は出生地の千葉県に広大な養鰻池を所有し、鰻問屋「丸千葉商店」を経営して財を成しました。また、うなぎ屋「三楽」を築地一丁目(本店)と銀座五丁目(支店)で営み、その馴染み客に伊東深水がいたといいます。加えて、小倉自身が熱心な日蓮宗の信者であったことから、深水の画室兼自宅の跡地を戦後鎌倉に転居した深水より譲り受け、和室(現池上梅園和室)を建てて別邸としたのです。小倉は土地を買い増しして、丘陵斜面等に梅の木を植え、現在の池上梅園の素地を築きました。
小倉邸(現池上梅園和室) 昭和53(1978)年2月21日 (地域基盤整備第一課蔵)
小倉邸時代の名残を残す現池上梅園園内 昭和53(1978)年2月21日 (地域基盤整備第一課蔵)
昭和46年に小倉が没すると、遺族の意志により池上別邸の敷地は庭園として残すことを条件に東京都へと譲渡されました。その後大田区に移管。昭和53年8月、池上梅園は開園するのです。
大田区内のおすすめ梅スポットまとめはこちら
https://unique-ota.city.ota.tokyo.jp/charm/health/plum_unify/