文化洗足池エリア

【特集】「メイキング オブ 勝海舟記念館」

2019年に大田区・洗足池の畔にオープンした勝海舟記念館。優れた大局観と交渉力で江戸無血開城を成し遂げたことから、今なお多くの人を魅了し続けている勝海舟ですが、実は海舟の記念館はこれまでになく、こちらがなんと全国初! 全国初の勝海舟記念館はいったいどのように企画され、誕生に至ったのでしょうか。その舞台裏“メイキング”について、勝海舟記念館の館長さんと学芸員さんにお話を伺ってきました!

 

※掲載している情報は公開日時点のものです。あらかじめご了承ください。

1.企画編~勝海舟記念館は、こうして生まれた!

国登録有形文化財「旧清明文庫」を、洗足池にゆかりの深い勝海舟の記念館に!

 記念館の建物は、元々、財団法人清明会が、海舟に関する図書の収集・閲覧や講義の開催等を目的として昭和初期に開設した「清明文庫」だったそう。外観はネオ・ゴシックスタイル、内部にはアール・デコ調の造作が施されているなど、建築物としての価値も高く、2000年には国登録有形文化財に指定されています。
 勝海舟と洗足池のゆかりは深く、晩年「洗足軒」という別荘を池の畔に構えた海舟はこの地を自身の埋葬の地にも定めています。実は、江戸無血開城を決定づけた池上本門寺での会談に向かう際、海舟は洗足池の畔を経由しており、その際にこの地をとても気に入ったためではないかともいわれているんです。清明会はのちに洗足軒を清明文庫の隣地に移転させて保存するなど、海舟の偉業を後世に伝えるべく活動を続けてきたそうです。


旧清明文庫の建物と、海舟が愛した洗足池の景観。落ち着いた雰囲気が魅力的ですね。


住民の方々にも受け入れていただいた記念館

 その後、この建物はさまざまな変遷を経て活用されてきたそうですが、2012年、改めて活用の仕方が検討されることに。
 こうした事業を始める際は、「住民説明会」で住民の方々に事業内容を説明し、ご理解を求めることになります。「地元の説明会では皆さんの愛着が感じられ、区民の皆様に受け入れていただけたことは本当に幸せなことでした」と館長さん。





建設中の勝海舟記念館。工事中は、仮囲いパネルに海舟の年表や展示予定の史料等を掲載し、内容の周知にも努めたのだそう。

2018年の「どんと来い! 幕末・明治プロジェクト」で開館に向けて気運向上

 ちょうど、江戸無血開城から150年となった2018年には、大田観光協会が「どんと来い!幕末・明治プロジェクト」を主催。この年は、大河ドラマ「西郷どん」が放送され、品川区や鹿児島県、東京急行電鉄(東急)と連携し、西郷隆盛や勝海舟にちなんだメニュー開発やイベントが多数企画されたとのこと。こうした気運をうけてオープンを迎えることができたのも、記念館にとってとても幸せなことだったに違いありません。





様々な企画でにぎわった「どんと来い! 幕末・明治プロジェクト」。銭湯「大正湯」では、勝海舟と洗足池(女湯)、西郷隆盛と桜島(男湯)の銭湯絵も掲出されたそう! 歴史ファン、幕末ファンにはたまらない演出ですよね。

2.史料編~勝海舟ゆかりの品は、こうしてよみがえった!

 記念館には、海舟自身が着ていた肩衣・長袴も収蔵されています。また、今後は、海舟の弟子・佐藤与之助と坂本龍馬が海舟に宛てた書状も展示予定なのだそう! この度、勝家とのご縁があり、このような貴重な品も展示できることになったそうです。ただ、古いもののため、やはり傷みもあり、展示するまでにはなかなかの苦労もあるよう。
 肩衣・長袴は史料保全のため、展示しているのは丁寧に修復した原物から精巧に作製されたレプリカです。今回は、この2点の史料の修復時の様子についてお話を伺いました!


肩衣・長袴
海舟が登城の際に着用した長袴

 当時、武家においては、位階が五位(正五位・従五位)の「諸大夫」となると、大紋・長袴を式服として着ることが許されました。海舟は、元治元(1864)年5月14日に軍艦奉行に補任された際、「従五位下」の位階と、これに相当する「安房守」の官職を与えられ、諸大夫となります。軍艦奉行となった海舟は、この衣装を着て登城したものと思われます。

 ちなみに、海舟が諸大夫への昇進の内示を受けたのは、実はこの約1年前。文久3(1863)年5月8日に老中・板倉周防守勝静から内示を受けますが、この時は「微臣一介の功なく、彼らに高官に進まんことは、もとより素願にあらず」「丈夫、風雲の会に乗じて、私身を以て先んぜんや、我輩深く恥る処」(『海舟日記』)という理由で辞退。海舟は神戸海軍操練所をつくること、ひいては幕府と諸大名による「一致の海軍」を創設することを、当時の自身最大の任務と心得ていた模様。この時点ではまだそれを成し遂げていなかったため、辞退したのではないか、と考えられているそう。海舟らしい謙虚さが窺えるエピソードですよね。

浅青麻地に勝家の表紋「丸に剣花菱」

 海舟が着ていたとされるこちらの肩衣・長袴は藍染の浅青麻地で、表地には「鮫小紋染」、裏地には「糸染」が施されています。また、肩衣の胸と背部分、長袴の腰部分には勝家の表紋「丸に剣花菱」があしらわれていました。

修復の様子
修復の様子を一部公開します!

Before



全体的にシワやカビがあり、経年による色あせや畳みジワ部分の変色も。



形や張りを維持するため、裏地の内側に和紙が貼られた部分は、特にくっきりとシワが。茶色いシミがついている部分も見られました。


修復
生地を傷めないようクリーニングし、形を整える

 染織品の修復で最も重要なことは、「生地を傷めないこと」。藍染の色味、表地の鮫小紋染、裏地の糸染など、生地本来の色や模様を損なうことなく手当を行い、形を整えることが最大のミッションだったそう。
①汚れ落とし
 まず、柔らかい刷毛を使ってホコリや汚れ、カビの痕を払い、吸引・除去。しぶとい汚れは筆で部分的に水分を加え、吸取紙に汚れを吸着させ、慎重にクリーニングを繰り返す。

②形の修復
 その後、加湿しながらシワを伸ばし、形の崩れた部分を修復。今回は、肩衣の袖口や肩口にのり離れが見られ、肩の山の中に縫い込まれていた芯(鯨のひげ)が飛び出していたところも。こうした箇所も様態を見ながら形を整え、留め付けを行った。


After




丹念に修復した肩衣・長袴をもとに再現したレプリカ(写真左)。原物の様子も、館内の「海舟クロニクル」にあるタッチパネルで見ることができます(写真右)。


ちなみに……
勝家の裏紋の一つに「可文字」があります。あまり見かけないこの家紋は、海舟のお墓の墓石にも彫られていて、見ることができます。海舟のお墓は記念館のすぐ隣にあるので、こちらにもぜひ足を運んでみられては。




向かって右が海舟、左が海舟夫人・民のお墓。五輪塔の形をした質素な墓石はなんと、海舟自身のデザイン。献花台の後ろに「可」の文字が確認できました!




勝海舟宛 佐藤与之助・坂本龍馬連署書状
書かれたのは、神戸海軍操練所建設の頃

 書状のほうは、神戸海軍操練所の留守を預かる海舟の弟子佐藤与之助が、文久3(1863)年7月25日付で江戸にいる海舟に宛てたものだそう。
 「この年の4月、海舟は、上洛中の第14代将軍徳川家茂を順動丸に乗せて摂津海上を案内しながら海防の重要性を説明し、その後、海路経由での将軍の江戸帰還も成し遂げています。神戸海軍操練所の建設許可も、この間に家茂から得たんです。書状は、佐藤与之助と坂本龍馬の連署になっていますが、全文与之助の筆で、全長は3mを超えるんですよ」と学芸員さん。

龍馬の抱く「神戸海軍構想」が読み取れる、重要な内容!

 「龍馬は日本の海軍のあり方について、ある構想を抱いて活動していました。与之助は、そのことをこの書状内で海舟に伝えているんです」。
 その要旨は、「神戸海軍の総督は朝廷が選び、その下に身分を問わず人材を集めるべき」であり、「神戸海軍の運営費は、勅命により西国諸侯から出させ、『関西の海局』とすべき」というもので、「幕府のもと“日本全体一致”の海軍をつくろう」という海舟の構想とは少し違う独自のものだったそうです。神戸海軍操練所は幕府の施設ですが、龍馬は幕府海軍から離れた「朝廷・西国中心の海軍」という構想を抱いていたことが指摘されているのだとか。これは、本当に貴重な資料であることがわかりますね!

修復の様子
修復の様子を一部公開します!

Before



「袖」と呼ばれる紙の最初の端部分は、特に傷みが激しく、カビの痕(斑点)や虫食いの痕(小さな穴)、和紙の繊維がほつれて綿状になる「老け」も見られたそう。修復が大変そうですね。
3mを超える長さのこの手紙では、7枚の紙がのりで貼り継がれていたそうですが、経年劣化でのりしろの部分が弱くなり、部分的に剥がれてきている箇所もあったそう。


修復

汚れを落とし、欠損部分を補強する

 古文書の修復では、紙や書かれた文字を損なわないよう、細心の注意を払うことが求められるといいます。この書状でも、汚れを丹念に取り除いた後、適切な質と量の水を用いてシワとヨレを伸ばしていったのだそう。

①汚れ落とし
 まず、先の柔らかい刷毛を使ってホコリやチリを取り除いたあと、ピンセットなどで虫食い部分にこびり付いた虫の糞なども除去(ドライ・クリーニング)。

②シワとヨレを伸ばす
 次に、スプレーで水を和紙に吹きかけながらシワとヨレを伸ばす。紙や、そこに書かれている墨文字を損なわないよう、水はpH値を調整し、不純物を濾過した精製水を、分量に気をつけながら使用。損傷の度合いが大きい箇所は、紙と紙の継ぎ目部分を一旦はがし、部分ごとに慎重に。

③欠損部分を裏側から補う
 破れや穴のある部分の裏面を、新しい極薄の和紙で覆い、馴染ませたところに刷毛でデンプンのりを塗り(裏打ち)、乾燥させる。最後に、紙の継ぎ目部分を接着し直し、再びはがれないように補強する。


After



きれいに修復された冒頭の「袖」部分。


佐藤与之助・坂本龍馬の連署部分。見違えるようにきれいになりました!

 史料は朽ちて弱くなった部分から劣化が進行するといいます。そのままバラバラになり、失われてしまった史料も多いなかで、今日にまで生き残ったものはみな、数々の危機的状況を乗り越えてきたものというわけです。そう考えると、その奇跡的な運命に胸を打たれますね。

 なお、こうした史料の修復は皆様からのご寄附で行っています。詳しくは【3.エピソード編】の「3.勝海舟基金の創設」をご覧ください。

3.エピソード編~オープン前後の“大変だったことBEST5”

 記念館をオープンするとなると、これは本当に一大プロジェクトですよね。そこにはさまざまな苦労もあったのでは……。最後に、勝海舟記念館オープン前後の“大変だったこと BEST5”をお聞きしました!

1.“全国初”というプレッシャー

 勝海舟というビッグネームでありながら、記念館というのは全国初。海舟といえば、コアなファンも非常に多い人物。それゆえ、プレッシャーがとても大きかったとのこと。ほかの博物館や大学の先生方にもアドバイスをいただきながら、方向性を模索していったそうです。
 また、古文書等も新出・未翻刻のものが多く、展示する前に一つ一つの調査・研究を要するとのこと。ほぼイチからの調査研究となり、史料にかじりついて格闘する日々が今も続いているのだとか。




図録には古文書の翻刻文が掲載されています。

2.旧清明文庫の建物をどう活かすか

 今回は、旧清明文庫という、古く格式ある建物を利用することから外観の保存や内装についても、どの程度残し、どの程度新しくするのがよいのか、そのバランスも検討されたそうです。建築的にも、新築よりも、既存の建物、しかも90年前のものを使って造るもののほうが難しいのだそう。
 施工時は色々と悩んだそうですが、「地域の方々は、この建物に対しても非常に愛着をもってくださっていたようなので、それを活かした形の記念館にできたことは本当によかった」と館長さん。






3.勝海舟基金の創設

 記念館開館にあたり、「勝海舟基金」という「ふるさと納税」の制度を活用した寄附制度も創設したそう。クラウドファンディングを活用した寄附制度は区では前例がなかったため、創設にあたっては東奔西走したのだとか。これも海舟パワーのなせる業でしょうか。


 皆様からいただいたご寄附は【2.史料編】でご紹介した史料の修復などに活用しております。詳細は下記リンク先からご覧ください。
【勝海舟基金】
https://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/hakubutsukan/katsu_kinenkan/kifu/index.html

4.想像を超える取材の数々

 全国初ということもあり、日本全国から様々な方に来ていただいているとのことで、「日々、身が引き締まる思い」だといいます。区内だけでなく、全国の海舟ファン、歴史ファンに情報を届けるべく、歴史や街歩きの雑誌にも協力するなど、プロモーションにも奔走しているそうです。海舟の魅力、全国に届いてほしいですよね。




5.ロゴやグッズをどうするか

 ロゴの字体は、もとは麟太郎(のち義邦、 安芳)という名だった海舟が、「海舟」という号をつけたきっかけとなった佐久間象山直筆の書額、「海舟書屋」の字体を意識したものだそう。
 グッズについても、どんなアイテムにするか、何を題材とするかから始まります。肖像写真や建物のシルエットだったり、所有資料の印章や海舟の言葉なども。様々な博物館の例を参考に試行錯誤の日々です。


佐久間象山が書いた「海舟書屋」の額(レプリカ、原物所蔵は東京都江戸東京博物館)。記念館の表札やパンフレット等の字体は、こちらを意識したそう。なるほど、とてもしっくりきますよね!


こんなグッズも作りました!



記念館では、海舟名言入り鉛筆、海舟の印章や肖像写真を使ったクリアファイルなどのオリジナルグッズを販売中。江戸無血開城、無血と止血をかけた「無血絆創膏」も、制作したとのこと。この絆創膏も要チェックです!


大田区立勝海舟記念館
住所:〒145-0063
東京都大田区南千束二丁目3番1号
営業時間:10:00〜18:00(入館は17:30まで)
休館日:月曜、年末年始、臨時休業日
入場料:一般300円、小・中学生100円
休館情報など最新情報は大田区公式HPからご覧ください


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